私は、写真のことについて何も知らない。従って、私がキャパの仕事について述べようとするのは、唯、素人としての立場からである。専門の方々は、どうぞ、この私を許して下さるように——
キャパが、——カメラとは、決して冷たいメカニックなものではない、ということを、なによりあきらかにしたのは、何人も同意するだろう。恰も、ペンのように、カメラも使うひとによって、すべてが、きめられるのだ。それは、じかに、人間の理性と感情につながっているものである。キャパの写真は、彼の精神の中で作られ、カメラは単に、それを完成させただけだ。すぐれた画家のカンバスのように、キャパの作品は常に、あきらかな表現をとっている。キャパは対象について、どのように見て、どのように為すべきか、をよく知っていた。例えば、戦争は激情の、果しない拡がりであるから——。然し、彼はその外にあるものを撮って、その激情を表現する。一人の子供の顔の中に、あの民衆全体の恐怖を、彼は示した。彼のカメラは、そのときに、激情を捉え、且つ、展(ひろ)げたのだ。
キャパの作品は、それ自体、偉大なる心の絵であり、その故に、圧倒的な共感を、いつもよびおこすものである。何人も彼にとって代わることは出来ない。すぐれた芸術家にとってかわることは、いつも、でき難いものであるが、幸いにわれわれは、少なくとも、彼の写真の中に人間の本質なるものを、学ぶことが出来るのだ。
私はキャパと一緒に、しばしば、仕事し、旅行した。彼は多くの友人に愛されていたが、彼は、常にそれ以上に友人を愛していた。彼にとっては、自分の仕事が、何気なく受けとられることがひとつの喜びであった。が、その彼自身は、決して、何気なくどころではなかった。
彼の写真は、偶然からは生まれない。その作品のもつ感動は、ふとした拍子などから出てくるものではない。彼は、動きと、明るさと、哀しみを、写すことが出来た——彼は、思想も写し得た。彼は、一つの世界を作った。それは又、キャパ自身の世界でもあったのだ。
キャパの偉さに、二つの面がある。
一つは彼の写真——芸術家の心をもって、われわれの時代の——醜く、或いは美しい——真実で、生々とした記録を残した。然し、キャパはもっと重要ともいうべき、もう一つの仕事をしている。彼は、自分の周囲に若い人々を集めて、勇気付け、教え、ときには、食事を恵み、着物を与えた。然し、彼が教えた一番大切なものは、彼等の芸術を尊敬し、しかも、その芸術を創り上げる一つ一つの過程——生活のすべてを、疎かにしてはならない事を教えたのであった。彼は若い人々に、人間はそのように生くべきであり、又、それだけが真実であることを、身をもって証明した。彼は自分の仕事の仕方を、ひとに、決して強制するような事はしなかった。然しながら、キャパの影響は、必ずや、彼と共に仕事をした人々の中に残るであろう。
そして、ひとびとはキャパの、或るものを、一生忘れないであろうし、きっと、次の時代の人々に、そのものを、伝えるにちがいない。
キャパが、もはや、いない、とは考えられないことだ。私には、まだ、その死が信じられない。私は、今、キャパが遺していった無限のものに、感謝する心でいっぱいである。
ジョン・スタインベック 1956年9月22日 ニューヨーク
No comments:
Post a Comment